宮台真司と竹熊健太郎が語る新世紀エヴァンゲリオンPART1|TVシリーズ最終話の終着点+なぜエヴァはヒットしたのか?

2007年8月、ヱヴァンゲリヲン新劇場版序の公開に合わせて、文化系トークラジオLifeで社会学者の宮台真司さん、編集家の竹熊健太郎さんが対談。

1995年に放送された新世紀エヴァンゲリオン テレビシリーズと劇場版を振り返りました。42分の内容を文字起こししました。

出演:宮台真司(社会学者)、竹熊健太郎(編集家)、新井麻希(TBSアナウンサー)

音声はこちら:https://life.www.tbsradio.jp/2007/09/post_31.html

宮台真司と竹熊健太郎が語る新世紀エヴァンゲリオンPARTⅡ|人類補完計画とは何だったのか?

竹熊健太郎と宮台真司が語る新世紀エヴァンゲリオンPART1

初めてエヴァを観たときの印象(竹熊健太郎)

(MC)はい、というわけで今お聞きいただいたのは昨日の公開初日、新宿シネマ東急で徹夜で並んでいた方々から、初めてTV版のエヴァを見た印象なんですけれども。

さぁ、ここからは序破急の序と題しまして、1995年から放送されました新世紀エヴァンゲリオンとは何だったのか?お話頂きたいと思いますけれども。

まずはお二人、初めてエヴァンゲリオンを観た時の最初の印象はどういうものだったのか?竹熊さんからお願いいたします。

(竹熊健太郎)僕から?

(MC)はい

(竹熊健太郎)あのですね。僕は実はテレビの本放送時には見てなかったんですよ。

(MC)あ、そうなんですね。

(竹熊健太郎)もうね、95年ぐらいだと、90年代から入ってからはテレビアニメは観なくなっちゃって。80年代ぐらいから、もうつまんねぇなと思ってね。

それでね、宮崎アニメとか押井守監督の劇場版のモノは、やっぱりクオリティは高いんで見てたんですよ。アニメそのものからは離れてなかったんだけど、『テレビアニメは流石にもういいよなぁ』と思ってたんですよ。ところが色々評判聞いてね、エヴァンゲリオンのね。凄そうだなと思って、放映終わってから、友達の友達がね、全話エアチェックしてまして、ビデオで。まぁ、全部借りてみた。2日で観ました、一気に。

面白かったですね。

それで最後のさぁ、自己啓発セミナーって大塚英志さんが言ったような問題の最終2話があって。そこ含めて僕は面白かったですね。なんで面白かったというと、こういう表現が地上波のテレビで、しかも夕方6時半とかね、幼稚園児もみるような時間帯でできるようなこっちゃないですよね。

なんでこんな表現が可能だったのかと?つまり、なんでできたのか?やらしてくれたのかも含めてね、『何があったんだこれは?』と思って。

それでね、たまたまその直後にね、庵野監督と道端で会ったんですよ。エヴァの放送が終わってから1ヶ月後ぐらいですけど。たまたまね、庵野監督が向こうから歩いてきて。あっ!と思って。顔知ってたから。ただ会うの初めてだから、話しかけたら向こうも僕のこと名前知ってたんですよ。

昔サルマンっていう漫画をやってたんで、それをご覧になってくれたみたいで。それで一緒に飯食いに行ったんです。

(MC)その場でご飯でもいこうかという流れに?

(竹熊健太郎)それで色々と話して意気投合しまして。

それで実は今、クイックジャパンっていうサブカルチャーの雑誌で仕事やってるんだけど、『ぜひともあなたのインタビュー取りたいから、よろしいでしょうか?』と言ったらその場でOKが出たんですよね。

でも、編集長にも話してなかったので、あとで編集長を説得するのが大変だったんですよ。まぁ、そういう次第で、見たんだけども。やっぱり尋常じゃない最終回含めて、前半は前半でSFアニメーションとして非常にクオリティ高かったし。

あとはほら、謎が謎を呼ぶ展開も引き込まれましたし。

(MC)えぇ、ホントですよね。

(竹熊健太郎)あとね、なんかね、作品から漂ってくる気合というか殺気みたいなものがあったんですね。

(宮台真司)えぇ、そうですね。

(竹熊健太郎)殺気としか言いようながないですよね。これはなんかね、普通の作られ方してないなと思って。それで庵野インタビューして、あとはスタッフとか、関係者のインタビューをクイックジャパンっていう雑誌でしばらくやったんですよ。それで、いかに異常な状況下に作られた作品であるかということがわかってきたんですね。

(MC)はぁー(なるほど)

(竹熊健太郎)まぁ、それは、あとで話しますけど。

(MC)はい、それはあとでお願いします。

(宮台真司)ふふふww

初めてエヴァを観たときの印象(宮台真司)

第四話『雨、逃げ出した後』

(MC)じゃあ、宮台さんは初めて観た印象は?

(宮台真司)僕はね、95年の10月の頭の方だったですよね。

(竹熊健太郎)本放送で見てたんですね?

(宮台真司)はい、みてましたね。そのころ僕はちょうど女子高生取材をしていた真っ最中の頃でしたけど、たまたま家買って夕方テレビつけたら第四話『雨、逃げ出した後』がやってですね。ロボットアニメなんですけど全然戦闘シーンが、、まぁ、ちょっと出てきましたけども、なんか変なバランスだなぁっと。

これはやっぱり竹熊さんがおっしゃったように異常だ。異常なことが起こってるなと思って、そこから観始めたんですよね。

たしかに全編見渡してあとから振り返るとね、先ほどインタビューにもあった哲学だとか宗教的な、例えば神学、教義学、そうした要素が入ってるということはありますけど、最初はそんなことわかんない。

ただ、全体として番組見て『狂ってるな』って感じだよねw

(竹熊健太郎)そうそう(笑)

(宮台真司)なんだか異常な番組がやってるぞ(笑)なんでこんな時間帯に、普通の時間帯にこんなアニメやってるんだw?

(竹熊健太郎)こんなものがよく放送できたな、と思ったんですよw

(宮台真司)そうですよねぇ。本当に放送事故に近いような何かが起こってるイメージでしたよね。例えば、映画版にも『雨、逃げ出した後』の1シーンが出てきますけど、テレビシリーズでは本当に、碇シンジ君が『もう自分はエヴァに乗るのが嫌だ』って言ってゴロゴロゴロゴロしてるんだよねw街の中をね。

映画館で寝っ転がって徹夜しちゃったりとか、なんか山登って深呼吸してたりとかw変なシーンばかりやって、一体これはなんだって感じだったねぇw

(竹熊健太郎)結局ロボットアニメなんだけど、ロボットアニメだから主人公の男の子は第一話からロボットに乗って戦うことがセオリーなんですよ。ところがシンジ君は最初から『なんで僕が戦わなくちゃならないんだ』とウジウジ悩んでるわけね。そういう主人公像っていうのは例えば機動戦士ガンダムのアムロにもあったんだけど、アムロよりもっと病的なんですよ。

(宮台真司)96年ぐらいに朝日新聞の論壇の連載をやってましてね。そこでエヴァを扱ったんですけど、今竹熊さんがおっしゃったことをこういうふうな言葉で言ったんですね。つまり、自分の謎と世界の謎が2本柱で立ってるんです。世界の謎っていうのはエヴァって一体なんなんだ?なんでここにこういう風に現れてるんだ?

使徒はなんだ。あるいはネルフってなんだ?背後にあるゼーレってなんだ?全部解き明かされるのは楽しみだなぁ、みたいな見方があるのと、もう一つは碇シンジ君という主人公がいわゆる当時言われていたアダルトチルドレンなんだよね。

つまり、親からの承認に見放されていて従って、親に反発しながら過剰適応しがちな、よくありがちなね、簡単にいえば若い人からみると自分を重ねやすいようなキャラクターになっている。

そうすると、彼がどうやって承認(アプローブル)を獲得することができるんだろうという期待とつまり、自分の謎がどう解かれるのか?という事と世界の謎がどう解かれるのか?という事が両方興味が成り立っていて、それが多分リンクするんだろうなぁと。最終的にこれがリンクするとしたら、スゲェー話になるだろうなとw

(竹熊健太郎)みんなそれを期待してみてた!

(MC)夜中まとめてみなきゃいけなくて15時間かけてみたんですけど、自分と他人の関わり方について考えさせられる感じなんですよね。

(竹熊健太郎)そうそう

(宮台真司)でしょ?しかもさぁ、結構初っ端の方からギャグが滑ってるでしょ?ギャグが滑ってるんだよ(笑)笑えないギャグなんだよ。それをやっぱり見ると、作ってるヤツもおかしいんだろうなぁと。それも興味なんだろうねぇ。どんなヤツがこれ作ってるんだろうっと思うわけだよね。

庵野インタビューの印象/凄まじかった経済効果

(竹熊健太郎)そこんところで、僕はたまたまなんだけどエヴァ見終わった後に庵野監督が本人と知り合っちゃって。インタビュー申し込んだらOKが出ちゃった。マネージャーも何にも通さないで、「これはしめた!」と思って。当時のクイックジャパンっていう雑誌、今でもやってますけど、いわゆるサブカルチャー雑誌で、むしろロックミュージシャンのほうに力入れてた雑誌なんですよ。

(宮台真司)そうだね。

(竹熊健太郎)ただ、たまたま編集長と僕が仲良くて、『これはクイックジャパンに持ってきてもおかしくないアニメだ』と思ったんですよ。

実際インタビュー終わったあとに、赤田編集長が落ち込んじゃってね。赤田君、何で落ち込んじゃったの?庵野さんのインタビューの後。

そしたら、『いまね、ロックミュージシャンでこういうインタビューが取れる人がいない』って言ったわけ。

『ここまでのディープな話を取れるミュージシャンがいるだろうか?』という事で、かなり落ち込んでて。そしたら、毎号特集組むようになっちゃったんよ。俺はむしろ止めたんだよね。ちょっと毎号やることはないよ、うーん。

ただ、売れたったのもホントなんですよ。

エヴァンゲリオンの異常なところは、あれだけ滅茶苦茶やって好き放題作ったアニメが売れたっていうね。最終的に劇場版まで含めてグッズとかね、経済効果当時400億円って言われた。今その後、パチンコになってますから、もっとすごいですよ、いわゆる総売り上げは。あーいう作品が商業的に成功しちゃったことを誰もちゃんと語れてないというか、解説できないですよね。

(宮台真司)なので、今日はそれを解説しようと思って私は意気込んできてるんですけどね。

(竹熊健太郎)そこを聞きたい!

エヴァの戦闘シーンの編集センスは抜群で、娯楽と表現が両立した稀有な作品だった。比較するとガンダムのダメさが目立つ

(宮台真司)竹熊さんがおっしゃったことはね。つまり、音楽の世界では表現が絶えて久しい。娯楽っていう要素と表現、つまり作り手が何か伝えたくてという要素と、簡単に言って独立だよね。独立ってどうことかというと、表現じゃなくても娯楽はありえるし。娯楽としての要素は薄いけど、表現っていうのはあるし。娯楽と表現が同時に成り立ってるようなものもある。

エヴァンゲリオンのテレビシリーズは娯楽、つまり楽しめるという部分と、表現という部分が両立してるっていう稀有な作品だった。だからクイックジャパンが扱えたってことをおっしゃってるのね。

でね、ただ今からみるとね。テレビシーズをみると何が娯楽なのか?と思うもしれない。僕はね、当時テレビでリアルタイムでみてたときに編集すごいなと思ったの。戦闘シーンの編集。

(竹熊健太郎)編集センスは抜群ですね。

(宮台真司)すぐにね、ガンダムのビデオテープを回して戦闘シーンを比べてみて『ガンダムだせぇ!』って(笑)絵止まってんじゃん、ほとんどよぉとか思って。まず絵がすごいんだなぁって。絵作りの凄さというのがやっぱりあって。

僕は映画批評家でもあるので昔の日本映画も一杯見てるのだけど、黒澤明の影響がすごい強いなって編集をみて思ったりした。

エヴァはなぜヒットしたのか?1995年とのシンクロニシティ(同時性

(宮台真司)そういうところも勿論作り手のセンスやエンターティナーの要素もあると思うんだけど。実はね、エヴァンゲリオンがなぜ当たったのかを考えるためには、95年っていう年がどういう年だったかを考える必要があるのね。

(竹熊健太郎)そうですね

(宮台真司)95年というと、いきなり年頭1月に阪神淡路大震災が起こって、2ヶ月後にオウムの地下鉄サリン事件が起こって、オウム騒動一辺倒になるわけね、一色になる。まぁ、当時といえば94年、5、6と女子高生援助交際大ブームということもあった。あのね、全体としてこういう感じだよね。

それまで平板な日常が永遠に続いていく中で、せいぜいハルマゲドン現象をみるしかないかなぁっていうのがあって。実際に日常に亀裂が入って、何かとても異様なモノが露出してきているような感じ、95年。それまで盤石だと思えたものに亀裂が入って何かわからないわけがわかないモノが出てきている。

10月からエヴァンゲリオンが始まってしばらく見ていると、もしかするとこのアニメを見続けたらね、自分達の盤石な日常に入った亀裂から覗く不気味なモノは何なのかっていうのを答えをくれるんじゃいかと思ったヤツが多いと思うのね。

それは例えば、オウム真理教の事件の背後にある、あるいは多くの人たちが惹かれていったってのは何なのかという事も、もしかすると意味も答えてくれるかもしれないし。ある時期、女の子たちが大人から想像もできないような方向にはじけちゃったのはなぜなのかっていうことも、説明してくれるかもしれないしってことで。

何かすごく、同時代的なシンクロニシティがあったんだよね(笑)(※シンクロニシティ:虫の知らせのような、意味のある偶然の一致)

(竹熊健太郎)丁度あの当時、宮台さんは「退屈な日常」っていう言葉をよく使われて。

(宮台真司)そうだねぇ

(竹熊健太郎)日常は退屈なんだけども、その退屈に耐えて生きなきゃならないと。そういう中で例えば援助交際の女子高生とかをフィールドワークで調べられていた。僕なんかもやっぱり退屈な日常っていうのは、まぁ、その通りなんだなって思って。

日常はつまらないけど、僕らは生きなきゃなんない。つまんないってことは面白い日常ってなんなんだろうってたらさ、何かさぁ、つまり、つまんないってことはなにかさぁ、団塊の世代がやってたような政治運動とか革命とか戦争とか、何かデカい事が起こって、この退屈な日常をね、揺るがせないかなみたいなっていう気分があったと思う。これは80年代からあったと思うんですよ。

だから漫画の中でもアキラとかね、ナウシカだってある意味でハルマゲドン後の世界の話でしょ。そういうモノが蔓延してきて、北斗の拳とか?

(宮台真司)(笑)

竹熊健太郎)90年代半ばって、多分それが臨界点に達した時期だった思うんですよ。

(宮台真司)そうだねぇ

竹熊健太郎)そこでね、オウム事件とエヴァが起こったってね、俺、偶然じゃないような気がする。

(宮台真司)うん

第1話のアフレコ当日は、地下鉄サリン事件が起こった日だった

1995年3月20日:エヴァ第1話のアフレコ当日

(竹熊健太郎)これは偶然なんだけど俺、庵野監督本人から聞きましたが、エヴァンゲリオンの第1話のアフレコの日が地下鉄サリン事件の日なんですよ。

(宮台真司)あー

(竹熊健太郎)しかもガイナックスって三鷹にあったから。三鷹のガイナックスから早朝の電車でね、品川がどっかのアフレコのスタジオに庵野さんが行ったんですよ。

でね、あと二つ電車をね、遅れたらサリン事件に遭ってたらしいんですよ。まさにその線に乗ってたらしい。だからあの、これは偶然なんですけど、なんか象徴的な話だなーって思って覚えてるんですけど。

(宮台真司)そうだねぇ

(宮台真司)ちょっとだけ補足するとね。80年代は天国だったか地獄だったかということは今でもやっぱり議論の対象になりうることなのね。あるいは80年代はスカだったのか、実りがあったのか。例えば、82年に押井守さんっていう方がテレビシリーズのうる星やつらを一部監督していた方なんだけど、映画バージョンの2番目のビューティフルドリーマーっていうのをやったのね。

(竹熊健太郎)84年ですね

(宮台真司)84年ですね。84年のそれのなかにね、文化祭の前のある種のお祭りごとの真っ只中で時間が止まってる話なのね。『このまま文化祭前夜が永久に続けばいいな』ってラムちゃんが言うわけ。80年代の幕開けってそういうイメージだったのね。

『なんか文化祭前夜の戯れが永久が続けばいいなぁ』って感じだったのが、実はもう90年代に入るころからある種、僕の言葉だと『終わりなき退屈な日常がつらい』と。『こんなものが永久に続くんだったら、どっかで早く終わっちゃえばいいな』と。

ハルマゲドンが起こってね。ヨハネ黙示録の最終戦争のことですけども、すべて廃墟になったあとに新たな共同性が立ち上がったり、新たなスタイルの生き方が立ち上がったりすれば、自分のつまらない毎日から抜け出せるのになぁみたいなぁモノがね。そのロックとか新たる表現に出てきたのね。当時ヘビメタが流行ってたけど、ヘビメタのプロモーションビデオって必ず廃墟で、ハルマゲドン後の盛り上がりって感じだったよねw

(竹熊健太郎)そうそう

93年から作り始めて95年の放送開始時点で10話までしか制作が進行せず

(竹熊健太郎)エヴァンゲリオンって93年から作り始めてるんすよ。

(宮台真司)(笑)

(竹熊健太郎)庵野さんの完全主義で作ってさ。95年の本放送まで2年あったのに10話しかできてなかったらしいんすよ。残り半年で16話作んなきゃいけないんすよ。2クールだから、26本。できるわけないんすよ。

(宮台真司)できないねぇ

(竹熊健太郎)そうだねぇ、それであんな風になっちゃった。

(宮台真司)なんで2年間で10本しかできてかなかったということについてはね、こういう説明もあるかなと思うんですよ。あとでエヴァンゲリオンがテレビでしばらく流れてくると、これは裏にカバラの思想があったり、生命の木が出てくるからユダヤ教の密教的な要素が入ってるんじゃないかとか、あるいは使徒って概念はなんなのか?エンジェルを訳して使徒なんですけどもね。色んなウンチク話が出てくるようになる。

実際テレビシリーズが終わった段階では結局よくわからなかった。最終的に97年の映画である種、完結。ちゃんとしたフィニッシュが果たされることによって、一体何を勉強したアニメだったのかってことが、だいたい多くの人にわかるようになったよね。

(竹熊健太郎)謎本が出ましたよね

(宮台真司)そうですね。あれね、かなり勉強しましたよね。何を勉強したのかというと、おそらく庵野さんと脚本を書いた方々が世界の宗教の中に流布している、広がっている救済、サルベージの思想にどういうモノがあるのか、いくつかのパターンを勉強して、習得されているんですね。

従って、わかりやすい言い方で言うと、碇ゲンドウの考えるサルベージ、救済のイメージ。ゼーレが考える救済のイメージ。それに影響されながらも最終的に例えばミサトやシンジが考える救済のイメージ。それぞれ全部救済のイメージが違っていて、宗教についてある程度関心がある人だったら、それぞれ宗教のあるセクトとある宗派に対応することがわかるわけです。

そうすると、あ、じゃあこれは相当勉強して。。。一応シナリオ書く前にね、世界観を構成する段階があるんですね。その段階では、ものすごく作りんだですよね。ただおそらくそこに時間をかけすぎて、世界観をリニアなブレイクダウンする作業が間に合わなくて(笑)

お話にできたのは10話まで!で止まったって感じなのかな(笑)

(竹熊健太郎)10話までは違ったかもしれないけど、そのくらいのはずです。原動画までは10話で、実際にできたのは8話まで。

(宮台真司)僕も庵野さんから8話までと聞きました。

(竹熊健太郎)たしかね、原画まで進行したのは10話ぐらいで。それってありえないことなんですよ。テレビシリーズ地上波で。

(宮台真司)普通ね、プロデューサーが絶対許さないんだけど、その辺なぜプロデューサーがなんでアホなこと許してるんだと。

『今度の作品は勝負作だから一切の妥協はしたくない」

(竹熊健太郎)これは話すと長くなっちゃうので掻い摘むと、プロデューサーがキングレコードの大月さんっていう。大月俊倫さんっていう、今回の新劇場版のエグゼクティブプロデューサーもやってんだけど。あの方がテレ東でアニメシーズの枠を持って、アニメ作るというときに庵野さんに声をかけたんですよ。庵野さんは当時オタクって言われるファンの間ではカリスマ的な監督ではあった。アニメーターとしてもカリスマ的なアニメーターだった。

そのときに庵野さんが『今度の作品はとにかく自分の勝負作になるから、一切の妥協をやりたくない』と。

(宮台真司)ふふふw

(竹熊健太郎)これも信じられない話なんだけど、大月さんが直接俺のインタビューで言ってますから、ここはしゃべっちゃっていいと思うんだけど。つまり、大月さんが庵野さんに『作ってくれ』って言った時に『じゃあ作りましょう』と。

その代わり、大月俊倫個人の意見は僕は聞く。でも、あなたが一瞬たりとも会社の顔をした瞬間に僕は降りる。何億損害が出ようが俺の知ったこっちゃない。』と。

そしたら、大月さんもかなり変わった人なのね。『やりましょう』ってことで。あの人ね、放送中にエヴァンゲリオン観てなかったんですよwww

(一同)www

(竹熊健太郎)いや、これは言ってますよ、本人。エヴァンゲリオン終わって、劇場エヴァのときなんかに俺会ったんだけど、『いや、まだ僕テレビシリーズ、まだ観てないんですよ。全部』

最初冗談かなと思ったけど、案外ホントかなと。つまりプロデューサーとしてみたら口を出したくなるでしょ。口を出さないってことを貫いたんですよ。だから、あれはちょっと普通できないですよ。

新世紀エヴァンゲリオンTVシリーズ最終話の終着点

碇シンジは救済されたが世界の謎は何処かにいってしまったTVシリーズ最終話

(MC)じゃあ、なぜエヴァは当たったんだと思いますか?

(宮台真司)先ほど僕が申し上げことはね、やっぱり95年という時代の異常さと丁度シンクロしていたので、エヴァを見れば自分達がどういう時代を生きてるのか、謎がわかるんじゃないかと思った人が一つ。

あともう一つは、見れば見るほどいわゆるウンチクを語りやすいようなネタが一杯振られてるので、僕ら同世代含めて割と年長の連中は『このアニメはコレとコレとコレを元ネタにして、勉強してやってるんじゃないか』とかって事で、ウンチクを語りやすい事が一つ。

(MC)じゃあ、当時ウンチクを語っていた世代は、例えば男女だとどういう世代ですか?

(宮台真司)僕らの世代だよね。あるいは僕と竹熊さんがだいたい同じ世代だとすると、僕よりか5年か6年ぐらいか若い世代はウンチク系だよね。今から12年前だから僕らもまだ30代半ばだよね。というと、30代の人はそういう感じ。

でもね、それより若い人はまた別でね。やっぱり碇シンジのキャラクター、つまり承認を求めて右往左往しているっていうAC的なアダルトチルドレン的なあり方にホントに自分をベタに重ねて、ウンチクどころではなくて、『一体、碇シンジ君どうなるんだろう』ということを我が事のように見るっていうね(笑)

(竹熊健太郎)それはやっぱり多かったです

(MC)そういうアニメはそれまではなかったんですか?

(竹熊健太郎)近いのはガンダムですよね。ただ、ガンダムはあそこまで内的なところを追求したっていうのはないんじゃないですか?

(宮台真司)そうだねぇ。あとでね、逆襲のシャア問題をちょっと竹熊さんにフォローして欲しいんだけども。多分ですね、ガンダムっていうアニメはそれまでのアニメと違っていて、富野由悠季さんがやっぱり表現者として関わってくる部分がかなりありますよね。

当時もまだ冷戦体制化ではあったけれども、昔のように勧善懲悪はもう通用しなくなったのでね。何が善で何が悪かもはっきりわからないのに戦わなきゃいけない存在というのが主人公として出てきて、悩むわけですよね。これは全く新しいタイプのアニメだった。

この設定はエヴァンゲリオンでも引き継がれていますよね。ただね、ただ単に引き継いでいるだけではなくて、シリーズをある程度見続けていったときの期待はね。まぁ、こういう期待になるわけだよ。

単に悩むだけでなくて、この悩む碇シンジが全面肯定されるような、それも世界の謎を解いた結果、碇シンジが正しいっとかっていう話になるような作りになるのかなぁと思ってみたわけ。それは多分、僕の見方だったかもしれないけれど、実際にその期待は裏切られたのね。テレビシリーズの段階では。

世界の謎は結局どっかにいっちゃうんだよwww最終2話でww碇シンジは救済されたんだよねwwなんか承認されたのww

(竹熊健太郎)碇シンジの内的な悩みが全面に出て、それの解消だけで終わった。

(宮台真司)そうなんだよねぇ

(竹熊健太郎)だから、本来の世界の謎はどっかいっちゃった。

(宮台真司)ただね、庵野さんは岡本喜八がすごい好きなのね。

(竹熊健太郎)そうそう

(宮台真司)僕も岡本喜八がすごく好きなのね。岡本喜八さ、色んな戦争映画撮ってるんですけど、彼の基本的スタンスは戦争に関わる様々な大義、正義含めて、一切下らないっていう事なんだよね。そういう発想は色んな人に影響を与えているのね。押井守さんにも影響を与えているし、大友克洋さんにも影響を与えていると思うんだけれども。庵野さんにも非常に大きな影響を与えているのね。

そうすると、例えば世界を救うとか人類を救うとかっていう問題設定って大事なようではあるけれども、どこか下らないという直感があるんですよ。

そんな問題じゃなくて、ここで悩んでる俺!とか君!とかあなた!とか彼ら!とか、そういうヤツがどうなるかっていうことが大事で、人類がどうなろうが知ったこっちゃないぜっていう風に、単に開きなおるってことではなくて、ちゃんと人を説得できるような形で伝承できるんじゃないかっていう確信が庵野さんにはあって、エヴァンゲリオンを作り始めたんじゃないかって気がしたのね。

でも、まぁ、さっき申し上げたようにテレビシリーズはそこまで行けなかった。

逆襲のシャア同人誌の本音インタビュー

(竹熊健太郎)庵野さんがエヴァを作るに当たって実は同人誌を作ってるんですよ。コミケに出してるのね。それが逆襲のシャアっていうね。ガンダムの富野さん監督のオリジナルストーリーで、シャアとアムロの関係にケリつけようとした映画がある。

僕も見たけど当時はあまりピンとこなかったんだけど、庵野さんは物凄くこれに感銘を受けて。どこに感銘を受けたかというと富野さんの本音が出てると。作家の作品になってるというところに、ものすごい感銘を受けて。

その同人誌を読むとびっくりするんだけど、結構業界関係者に庵野さんがインタビューしてるんですよ。これも珍しいんだけど。業界人だけの本音トークだけの同人誌。かなり普通のアニメ雑誌じゃでないような話ばっかりなんですよ。

(宮台真司)ふふふw

(竹熊健太郎)例えばね、ガイナックスの社長やってる山賀博之さんと庵野さんの対談でも、山賀さんが『何が悲しくてね。30、40になった良い親父がおもちゃ会社のためにロボットアニメ作るんだ』と。そういうね、ぶっちゃけトークをやってるわけよ。そういうところが作り手としては結構切実な問題で。

庵野さんがエヴァを作るに当たって、やっぱり富野由悠季というね、ガンダムを作った監督の。あの監督は監督としても一流なんだけども、ガンダム当てたけども、かなり作家として本音を出しちゃう、作品に。

だから、子供が見るアニメでここまでやっていいのかということをやっちゃったんすよ。子供の首が飛んだりとかさ、アニメの中で。今だとちょっと放映できないのようなことまでやっちゃった。

ただそういうのを庵野さんって人はすごい影響受けてて、自分もロボットアニメを作るっていう事をかなり根底的に捉え直して作ろうとしたときに、そういうときに逆襲のシャアの同人誌をね、庵野さんが色んな業界関係者とか、押井守とかジブリの鈴木敏夫さんとか、富野監督本人にもインタビューしてるんですよ。

10年前に庵野さん本人からもらいまして、読んだ時にはなるほどなと思って。この間、10年ぶりに読み返して、かなりこれはエヴァに直結してる仕事になってるなと。ここまで客に対して自分を荒け出して良いのかどうかっていう葛藤があって、それを富野監督はやってると。

僕も曝け出すぞと宣言してるんですよ、この本で。その結果、何にもない自分が出るだけかもしれない、でもやるんだ。そういう気迫みたいなものがエヴァンゲリオンにはありましたね。

僕はテレビシリーズ見て25話26話もみて思ったのは、『あ、この監督はガチンコをやってる』と。

(宮台真司)うん

レッドゾーンで仕事をしたことが事件

(竹熊健太郎)ガチンコっていうか、つまりテレビアニメっていうね、色んなスポンサーとか、局とか代理店とか色んなシガラミの中で作らなきゃならない宿命があるようなジャンルですよね。

そんな中で『俺は自己表現やるぞ』って宣言してやった作品だと思うんですよ。その結果、滅茶苦茶なことになっちゃんだけど、その滅茶苦茶含めて、俺は嘘ついてないと言えると思うんです。作品が完成しなかったこと含めて、まぁ、嘘ついてないなと。

(宮台真司)そう。そこでね、25話26話問題についてちょっとだけコメントをするとね。まさにガチンコ勝負。僕の言葉で言えば、レッドゾーンで仕事をしたんだよね。

(竹熊健太郎)うんうん

(宮台真司)この竹熊さんも言われた同人誌の巻頭でね、庵野さんがとても良い条文を書いてらっしゃって、普通、人は真逆にあったモノを作れって言われるけど、そんなものを作ってちゃ表現になりゃしないんだ』

簡単に言えば『レッドゾーンで仕事をしなきゃいけないんだ』ということをもう宣言してるのね。それを宣言してるだけではなくて、ホントにやっちゃったんだよね。そうしたら放送事故のようなモノができあがっちゃった。25話26話、ほとんど放送事故だよね(笑)普通にみれば。

(竹熊健太郎)うんうん、普通に考えればそうなんですよ(笑)

(MC)何が起きてるの!っていう…

(宮台真司)そうだよね。でも、おそらくね シリーズ全部見てきた人は、先ほど申し上げた意味で、『何も謎を答えられてないじゃん』と期待はずれの一方であるけど、おそらくレッドゾーンで仕事をしたから起こった事で。レッドゾーンで仕事をしたことが事件なんですよね。

(竹熊健太郎)そうそう!

(宮台真司)音楽の世界だとキングクリムゾンっていうプログレバンドが好きだったんだけど、レッドゾーンで仕事をして、『Red』ってレコードを出して解散しちゃう。最初この作品はエヴァと同じで、随分クオリティ落ちたじゃんって言う人もいたけど、僕なんか含めて『違う』と!

レッドゾーンで仕事をしたからこんなことなっちゃった。ちょっとバランスは崩れてるけど、凄いじゃないかとして褒めた。エヴァの25話26話については同じ褒め方ができる。

(竹熊健太郎)ガチンコって相撲の言葉だけど、プロレスの場合はセメントって言うんですよね。

(宮台真司)ははww

(竹熊健太郎)有名なところだと猪木対アリ!世紀の盆戦と言われたんです。

(宮台真司)ははははww

(竹熊健太郎)本気の試合って得てして、そうなっちゃう。エヴァンゲリオンもセメントだと思うんすよ。セメントマッチっていうのは美しい物にはならないことが多い。

(MC)なるほど

(宮台真司)あるいは、一見さんが見てもわかるものじゃないよね(笑)

(竹熊健太郎)それ含めて凄い作品だなって僕は思った。ただ、こういう言い方しても特殊な見方だから、一般的ではないですよ。

(宮台真司)ははははww

途中までしか作れなかった春エヴァ

春エヴァは量産型エヴァが出てきた所で終わり。

(竹熊健太郎)でも庵野さんってその後もやったんだよね。

(宮台真司)そうね

(竹熊健太郎)劇場版っていうのを作るので俗に春エヴァって言われてるんですけど。97年の春に公開予定で、そのときね、96年の12月の暮れにね、28日か29日にガイナックスに行って庵野さんに会ってるんですよ。

それでね、『庵野さん、いよいよ春公開ですね。進み具合とかどうなってますか?』と聞いたら、庵野さんが『できません』と。

(MC)www

(竹熊健太郎)『間に合いません、絶対できません。』って言うわけ。でもね、まぁ、半分冗談だろうと思ってた。

(宮台真司)ははww

(竹熊健太郎)そしたら、本当にできてなかったんだですよ。

(MC)まったく?

(竹熊健太郎)ところが、当時は配給が東映で。東映だけじゃないかもしれないけど、いわゆる公開日を遅らせるのは絶対ダメなんだね。唯一アニメで公開日遅らせた人は手塚治虫のね、『火の鳥2772』という劇場版があって、あれだけは公開日ズラしたんですよ。間に合わないから。でも、普通はできないんですよ。

だからね、公開日はズラせないと、でもできないと。未完成の状態で劇場で公開したんだ。その後、何ヶ月かかけて完成させて夏にもう一回公開しだんた。

(宮台真司)そうですね。

(竹熊健太郎)それが夏エヴァって言われるんですけど。アレみました?春エヴァ?

(宮台真司)見ました。両方見ました

(竹熊健太郎)あれ、なんかね。これから、いよいよ最後の敵が出てきたってところで、、

(宮台真司)終わんのww!

(竹熊健太郎)終わっちゃうの!

(宮台真司)えぇぇって(笑)ここで続くかぁ!!?映画だろこれってwww

(竹熊健太郎)アスカってキャラクターがいてさ。エヴァンゲリオンの量産型だよね。

(宮台真司)そうだね

(竹熊健太郎)量産エヴァってのがさ、最後出てきて戦うんだけど、『完成していたのね』とか言ってね。空から舞い降りてきたんだよね。舞い降りてきたところで『私に還りなさい〜』ていうエンディングテーマが流れてね(笑)

(宮台真司)そうそうwww

(竹熊健太郎)あの時の観客の脱力感たるやwwwう〜ん、これで終わるのかぁ。

(竹熊健太郎)あの後に庵野さんに会って聞いたらさぁ、『ほら言ったでしょ、できないんですよ』

(宮台真司)はははwww

(MC)実際そのときどうだったんですか?賛否両論?

(竹熊健太郎)賛否両論ですけど、そのときに僕のところに東浩紀っていうね。宮台さんもよくご存知の、若手の哲学者からメールが来まして『僕はもうこれから何を信じて生きていけばわかりません。もうどうすればいいかわかりません』って俺にメールがあったんすよ。

(宮台真司)はははwww

(竹熊健太郎)それで会ったのが初対面なんすよ。

(宮台真司)せっかく答えを出してくれると思って見にいったのに、『またこれかよ〜』だよねwww

(MC)面白いです(笑)ではまだまだお話を伺たいたと思いますけれども、それでは一曲お聴きください。シト新生Death and Rebirth主題歌、高橋洋子で魂のルフラン。

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宮台真司と竹熊健太郎が語る新世紀エヴァンゲリオンPARTⅡ|人類補完計画とは何だったのか?

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