八宝備仁のプロフィール|25歳でパチプロだった異色のイラストレイター

2000年代前半から美少女ゲームで活躍した人気イラストレイター「八宝備仁」

リゾートBoinなどの代表作にあるように業界の先駆者の一人。

その実、上京後は25歳までバイトとパチプロの生活を続けていた異色の経歴を持っています。そんな経歴をみていきます。

八宝備仁のプロフィール|25歳でパチプロだった異色のイラストレイター

宮崎県出身。趣味は虫のブリード。

幼少期は「イラスト」とは全く無念の生活をしていた。当時は学校帰りになると虫取りに熱中し、友人たちを誘うなどしていた。しかし、友人たちは次第に音楽やアイドルにハマり、虫取りに誘っても断られるようになる。そこで、周りに取り残されないように芸能人の名前を必死に覚えるようにしていた。そうした生活を中学校まで行う。高校では一転してバイクに熱中になり、友人と峠に遊びにいっていた。最初はお金がなかったので原付バイクを乗っていたが、MVXを先輩から売ってもらって、カウルを自分で塗装していた。

高校時代に「同人誌」の存在を知り、宮崎県の即売会で販売。そのときの作風はアメコミ風の漫画だったが、東京に行ったあとは『イラスト』との接点はなくなっていた。

高校卒業後に上京。昼はWOWOWの技術担当として勤務し、夜間は放送関係の専門学校に通っていた。しかし、WOWOWでは上司とケンカして退職し、専門学校もつまらないということで中退。

そこからバイト生活を開始する。知り合いの紹介で様々なバイトを経験し、面白い体験をいくつもする。25歳からはパチプロとしても腕を振るうようになる。新装開店の店を中心にまわっていたが、パチプロの友人がパチンコ台のガラスをぶち破って、救急車に乗せられる様子を目撃してしまう。この辺りから先々の見通しについて違和感を持つようになり、後述のK1観戦後の友人とのおしゃべりがプロデビューへの転機となる。

当時、スタートして間もなかったプロ格闘技K1を友人と観戦。観戦後の帰り道、友人と将来について話しているうちに、「このままではヤバい」と先々の見通しについて悲観するようになる。そこで就職活動を開始することになった。

「エクスト」という会社のCGグラフィッカーの求人に応募。面接では、過去に描いていたアメコミ風の作品を持ち込んだが、1回目は✖️。しかし、作品を修正して再提出したところ、無事に採用となった。採用後は会社の原画をチェックしていたが、絵の出来に不満を持ったので、自分で修正していた。すると高評価を得てしまい、次回作も頼まれるようになる。

そして、美少女ゲームメーカー「バックスキン」から発売されたPC-98「ゲルニカ(1996年発売)」で全原画を担当。全原画を担当した実質のデビュー作となった。その頃には「エクスト」経由で、にくきゅう内にてCGイラストレイーションの技術指導をするまでになった。

フリー経験後に美少女ゲームメーカー”フロントウィング”に参加。2001年2月に「フーリガン」の制作をスタートし、翌11月に発売。当初のシナリオに難があり、別のライターを雇っての難産だった。フーリガンのキャラは足を太くしたのが特徴。

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