元TOKIOの山口達也さんにはプロレスラーの弟・山口公次さんがいます。
彼は幼少期から少林寺拳法を習い、高校では全国大会にも出場していました。過去にはヘビメタバンドのボーカルとしてもマルチに才能を発揮していました。
今回は、公次さんのプロフィールをまとめていきます。
山口公次(プロレスラー)のプロフィール

kouzyこと、山口公次
- 名前:山口 公次(やまぐち こうじ)
- 生年月日:1979年7月18日
- 出身地:埼玉県草加市出身
- 身長:173cm
- 職業:プロレスラー兼歌手
- 団体:666(トリプルシックス)
- 特技:少林寺拳法三段
- 女性のタイプ:ベッキー
- the cycleのボーカル:2009年3月〜2011年末まで
山口公次さんは現在42歳で、プロレスラー兼歌手として活動しています。
出身は埼玉県草加市出身で、男3人兄弟の末っ子として育ちました。次男は山口達也さん、長男は会社を経営しています。
3人揃って、格闘技と音楽が好きで、兄の達也さんも大のプロレスファン。幼少期は、兄の隣でプロレス中継をみて育ちました。
兄ほどプロレス好きではなかったものの、幼少期から格闘技に打ち込み、少林寺拳法三段の腕前があります。父親が空手をやっていたので、一家の子供達も自然と格闘技に慣れ親しんだようです。
しかし、身体が大きくならなかったため、プロレスラーの夢は断念。
その後、格闘技だけでなく、音楽の世界にも挑戦していきます。
15歳のときにジャニーさんに『CM出てよ』と誘われたことも。
「15歳の時、兄のライブを観に行ったらジャニーさんに会って、いきなり『ユー、スケボー乗れる?CM出てよ』って誘われたことがありました。親が反対したので結局ジャニーズには入りませんでしたが」
引用:週刊文春
1994年、15歳のときに兄のライブをみにいったところ、ジャニーさんから「CM出てよ」と誘われたことがあったとか。ジャニーさんに声をかけられるということは、それだけ秘めた才能があったということ。
しかし、親に反対されたこともありジャニーズには加入しませんでした。
もし入っていれば、『兄弟揃ってジャニーズ』が実現していたはずです。
高校では少林寺拳法部で全国出場。音楽活動も開始
高校では少林寺拳法部を3年連続、全国大会に出場させることで、周りの同級生から怖がられたそうです。そのため、可愛い女の子からも怖がられてしまい、あまりモテなかったと語っています。
寄ってくるのは、湘南乃風の人たちばかりで、その方々に誘われてバンド活動を開始。しかし、ライブ中に乱闘を発生させるバンドだったらしく、本人も『怖かった』と語っています。
それだけでなく、高校ではヒップホップのチームにも所属し、ダンスも習得しました。
少林寺拳法全国大会出場、バンド、ダンスなど多岐にわたる活動をしていたようですね。
山口公次はロックバンド”the CYCLE”の元ボーカル
高校卒業後は、本格的にプロデビューの道を歩みます。
いざデビューするときになったときに当時の所属事務所から「あなたはポップスだ」と言われ、ポップス路線で活動開始。ビートルズのマッシュルームカットにスーツ姿で歌っていたようですが、嫌気がさして3年でやめたそうです。
もともとメタル好きだった公次さんは、「人格までは変えられないから」と嫌になった理由を語っています。
その後、公次さんは2009年3月、ヘビメタバンド『the CYCLE』に加入。プロレスラー活動に専念するまでの2011年末まで、『the CYCLE』の元ボーカルとして活動しました。
ライブ動画が残っていますが、雰囲気があってすごいですね。
兄・山口達也から反対されたものの、2011年にプロレスラー・デビュー
今回は知人の紹介で念願のプロレスデビューと相成ったが、当初、兄は猛反対だったという。
「プロレスやると連絡したら、『え、お前が!?お前、いったい何をしたいの。音楽やるんじゃなかったのか』と、かなり強く反対されました。何とか最後は『まあ、好きにしろ』という感じで折れてくれて」
プロレスラーデビューするために、転機となったのは2011年2月。
プロレス団体666が音楽とコラボするイベントに、参加したことです。それがきっかけで念願かなってプロレスラー・デビューすることができました。
しかし、兄の山口達也さんからは、猛反対されたそうです。最終的には折れたそうですが、夢を叶えることは大変だと実感します。